お侍様 小劇場
(お侍 番外編 20)

     “どうせ数えるなら 倖いを” 〜馴れ初め編

 

 

        




 夏はむせ返るような草いきれ。冬は純白の雪が風景を覆う。そんな自然に取り巻かれていることへ抗わずの、

  ―― 閑として黙。

 雑念を静め、自然の息吹に耳をそばだてて。自身の気配をそこへと溶け込ませて消してしまうほどもの、それは高度な集中術を、誰に教わった訳でもなく、ずんと早くからこなせていたという。世が世なら天才鬼才と持て囃されたろう、大人しやかな見かけ以上に型破りな和子。大人でも音を上げる厳しい修養の数々を、それしか遊びようを知らぬかのようにこなすという育てられ方をして来たせいだろか。同じ年頃の和子のように、他愛ないことへ笑み崩れるということも知らなくて。そんなまでに早生な達人の背後から、それは気安く近寄っての、お迎えご苦労様ですと肩を叩けた人物は。そうともなると更なる練達ということになりはしないか?

 『…。』
 『久蔵殿?』

 あまりに思わぬ不意打ちに遭い、それこそ珍しくも呆然としかかっていた久蔵だったが、自分との身長差から、ほんのちょっぴり腰を屈めている長身の君だということに気がついて。そんなところへ…これこそ常のことながら、少々むっとしたことで我に返ることが出来、

 『こたびは遠路はるばる、ようこそお越し下さいました。』

 そうだ、自分は使者なのだ。表向きの唯一“島田”を名乗る、本家のお人が来るのだからと、建前とはいえ迎えを出さにゃあ示しがつかぬという段取りの中、行って来なさいと送り出された身。それを思い出しての口上を並べると、相手のお兄さんは“おや”と目を見張ったものの、それを“おやおやvv”と柔らかく受け止めつつ、
『丁寧なご挨拶を、痛み入ります。こちらこそ、突然まかりこしました無礼、どうかお許しくださいませ。』
 文言こそ型通りの言い回しだったが、それでも。その口調のなめらかさは、小さな子供相手の芝居がかった言いようなんかじゃあなかったのが、やっぱり意外。大おとなへの言上としても十分な、それは丁寧な抑揚で連ねられたご挨拶であり。傍らにいた運転手のおじさんの方を使いの人と間違えたのではないかと思ったくらいだったけれど、そろりと上げた久蔵からの視線へは、彼の青い瞳からそそがれていた眼差しが真っ直ぐにぶつかったから、そんな単純なオチではないらしくって。

 『えと…。』

 島田の血統には、宗家支家の別なく、時折 金の髪だの淡い瞳孔だのという日本人離れした子供が生まれることがある。その秘密のお役目の先々で、時代的にはまだまだご法度だった“国際結婚”に運んだ例が少なからずあったせいだと言われており、よってそれを指して何とも珍妙な事態だと大騒ぎになることはなく。そちらは混血の家系に覚えがない日本人の母上から、こうまで金きらきんの頭をした久蔵が生まれたときも、父方の人間は“愛らしい和子よ”と喜ぶばかりで誰一人として驚かなかったというから推して知るべし。そんな環境で育った久蔵なので、こちらの訪問者が金髪碧眼の美丈夫だということへはさしたる驚きも緊張もなかったはずが、

 『あのえと、
  我らが当主、弦造翁もお待ちして申し上げておりまし、
  これからご案内申し上げ…、///////

 あああ、同じ言い回しを続けてしまったと、白い頬がかあと赤らむ。例文の丸暗記じゃあないからこその失速だろに、しかも自分ですぐさま失態と気づいたなんて、これはやっぱり利発な子だと。そちら様にもちゃんと伝わったからだろう、

 『はい、伺います。』

 にっこりと微笑ったお客様。そのまま、すいと…手を差し出される。え?と、目の前へ現れたきれいな白い手へ、どういう意味かしらと思った久蔵だったのは、日頃あんまり子供扱いをされないせいだろう。乳母や祖母からはさすがに、身の回りへの世話を受けている延長で、あれやこれやと口や手を出されてもいるけれど。その他の大人たちからは、何でも一人前にこなせて当然と見なされていればこそ、助けを求めない御方とこの年齢で既に解釈されている。なので、

 『…えと。//////
 『???』

 どしました?という目顔に絆
(ほだ)されたまま、怖ず怖ずと伸ばした手を取られ。大人と手をつなぐなんていう、何年振りかの子供扱いに、妙にドキドキしてしまったのだった。

  「………。」

 そして今、その七郎次という不思議な練達の君はといえば。久蔵が正座をして見やった先、道場の板張りの仕合いの間の中央へと進み出て、当家の武道師範と、その“穂”と呼ばれる切っ先の部分を、突いても安全なよう革の模造品で代用させた、所謂“たんぽ槍”の先を合わせあっているところ。まずはとお館様との顔合わせ、ご挨拶を交わしたところで、駿河の宗家の留守居をしつつ、勉学と平行して槍術を嗜んでいたというお話が出て。なかなか弟子を取らないことでも有名な流派のそれだというので、久蔵に刀を教えている師範がぜひにと請うての手合わせが、とんとんと進んでしまってのこの運び。

 「…。」

 昔はともあれ、今は家人の希望するもののみが使うのみの道場ではあるけれど。それなりの手入れは行き届いており、漆喰壁の白が、床や腰板の紫檀のような濃色に引き締められての、場の空気をもぴんと冴えさせ、張り詰めさせる。中腰になっての蹲踞から、揺らぎもしないまま すいと立ち上がっての立ち会いが始まって。しんと静まり返った空間は、その真摯な冷たさが久蔵には心地よく、それだけで十分に気に入りの場所でもあるのだが。今日はそこへと変わった花が生けられており、それへの関心が嵩じる余り、裡
(うち)なる気勢はともすれば、仄かに熱を帯びているくらい。

 「…。」

 彼が仕えているという宗家の勘兵衛も、そういえばどこか不思議な男だったと思い出す。あれは数年前の、確かお披露目代わりの対面の場。まだ挨拶さえしてはいない久蔵を、その広間の隠し部屋へと潜ませた翁様の思惑、本能で察したは、
『…っ!』
 他愛ない談笑の途中、ほんの刹那だが、それは鋭く嵩められた霸気を感じ取ったから。向かい合ってた祖父を斬りでもするのかと、そうまで思ったほどの本気の闘気を嗅ぎ取ったそのまま、体が反射的に飛び出しており。くるりと回る襖を、それさえもどかしくの蹴破って押し開け、腰に携えていた差し料、短い脇差しとはいえ刃引いていなかった真剣を、目にも止まらぬ素早さで抜き打ちにしていた久蔵へ、
『…っと。』
 大仰に慌てふためくこともなくの、正座して座っていたそのまま。咄嗟に顔前へ掲げた手元の…腕時計のベルトで刃を受け止めてしまうと、もう一方の手では久蔵の腕を掴み絞め、刀を落とさせた一連の手際の見事だったこと。弾丸のような奇襲を仕掛けられたことへは、ここまで周到に対処出来たその男。実行犯の久蔵へではなく、向かい合っていた惣領様へと文句を垂れたは、大元の犯人が判っておればこその言いようで。

 『お人が悪いですぞ、御大。』
 『なんの、きっちりと防げてしまえたお人から言われとうはないわ。』

 しかも挑発までしおってと。久蔵が飛び出してくることを見越しての、わざわざ物騒な気勢を放出させた彼だったらしいこと、見抜いてからから笑った祖父も、いい勝負の悪戯者だったのではあるけれど。そんなやり取りがあった後、
『この子が隼人殿の…。』
 久蔵の父を見知るか、どこか感慨深げなお顔を初めて見せた男に、だが久蔵の側は、結局あんまり懐くことは出来なんだ。相性的に好もしく思わなかったとか、易々とねじ伏せられたのが気に喰わなんだとか、そういうことからではなく。強いて言えば反発、いやさ警戒のようなものが、その気配を嗅ぐたびについつい先に立ってしまったから。強い存在には負けるものかという自負が刺激される、つまりは久蔵の側の気性気概の問題であり、

 「…。」

 今の安泰な世には必要なかろうレベルの覇気、いわゆる“闘気”というものを、ああまでも秘めている人物と、この七郎次は果たしてどういう間柄なのだろか。その詳細までは、まだとんと訊いてはいないが、少なくともその人と成りを見込まれて仕える身なれば、ひとかどの存在ではあろう。子供という特別扱いを厭うほどには自負も高い久蔵を、だのにあっさりとお手々つないでという対象に持ってってしまった不思議な人性には、正直 興味津々でもあって。
「おう。」
「おうさ。」
 相手との間合いを測っての、睨み合いがしばし続く。槍というと、柄の長い仕様であることから、間合いを先んじて力任せに振るう大味な武器と思われがちだが、さにあらん。七郎次が柄へと添えていた双手、くっと引き絞った所作を呼吸の弾みと読んだものだろか。師範の方から踏み込めば、

 「…っ。」

 懐ろ目がけて突き入ったはずの穂先が、素早く引かれて上下へ振られた相手の穂先に搦め捕られていての、そのまま吸い込まれるように横手の脇へと引き回されている。突っ込んで来た勢いをも上手に受け流してという一連の捌きようだったらしく、
「おっと。」
 得物を持って行かれかけての無様なたたらを踏む前に、何とか持ちこたえて手元へ戻し、体勢を整え直した師範殿。こちらが槍を引き戻した所作に逆らわなかった七郎次だったので、がら空きになった格好の、先程引き込まれた側の脇をば、今度は最初から狙って突いたけれど、

 「…っ。」

 片手持ちにした長柄へ肘をからげるようにして腕を巻いての支えとし、ぶんと真横へ打ち振って。飛び込んで来た相手の槍を、見事な瞬発力で外へと弾く。それから、今度は七郎次の側から踏み出して来、背後へ送り出した格好の相手へ、振り上げた穂先を勢いつけて叩き落として見せたのだけれど、

 「く…っ。」

 そこはさすがに、師範殿も何とか…そのまま身を翻して避け、数歩という短い動作にて、元の真っ向からの対峙へ間合いを戻すところが、こちらも一端の剛の者。相手の武器を叩き落としたり穂先で搦め捕ったり、釣り込んでの巻き上げて双腕丸ごと自由を奪ったりも可能というよな、大技を繰り出すばかりではなく。柄の上で持ち手を俊敏にすべらせて、短い持ちようへと切り替えれば、大太刀での戦いようも披露出来、

 「…っ!」

 搦め捕ったる相手の穂先。それを、ぐりんと柄を撓ませて、巻き上げての高々と吊り上げてしまい。空いてしまった胴体へ向け、足元すべらせ にじり寄ると、空けた右手の手のひらで…とんっと脇を突いた七郎次であり。この展開へは、師範殿も追い詰められたことを認めて、

 「…参った。」

 息をつきつつの自己申告をなされてしまわれる。その手に小太刀でもあったなら、そのままとどめを刺されているところ。これは文句なしに勝負有りだろう。にこりと微笑った七郎次が手を放し、槍も引いての蹲踞
(そんきょ)へ戻る。礼を交わして やっとのこと、長かったような、されど、刹那の瞬発の積み重ねであったような、不思議な一時の緊迫がふっとほぐれた。
「なんと自在な。」
 立ち会い人というほどでもないけれど、見守っていたのは久蔵ただ一人であり。小さなお弟子が見ていた前での敗北なれど、師範殿には爽快な笑顔。そういうさばけた人物であるからではあるけれど、それ以上に仕合った相手の腕前が飛び抜けていること、感じ取っての廉直に認めたからに他ならず。師事されたは駿河の誰某氏ですか、あの方は足腰のバネが尋常ではないお方でと、二、三、言葉を交わされてから、額ににじんだ汗を手ぬぐいで押さえつつ、それではと退出なされたを見送って、

 「お待たせしましたね、久蔵殿。」

 くるんと振り返った七郎次のお顔の、何とも優しく嫋やかなことか。こちら様もまた、額に降ろしていた淡色の前髪を汗で湿らせておいでだが、息が切れるほどの大仕事ではなかったらしいことが伺え。こんなにも優しい見栄えを裏切るその余裕が、見ていてなんとも頼もしい。

 「…。////////

 こちらの彼は武道や体術といった方面の、ある意味判りやすい“凄腕”という人物ではなさそうだ。確かに槍の捌きようや体の連動、それはそれは巧みではあったが、久蔵がそれよりもと感じたのが、

 「…。」
 「?? 何ですか?」

 今も、久蔵の醸した“何か訊きたげ”という気配をあっさりと拾ってしまわれる。そういう気配読みが優れている点だ。どちらかというと武道ではない分野の、人性の問題なのかもしれないが、そしてそういう“気配り”が得手な人をこれまで全く知らなかった訳でもないのだが、

 「…。///////

 小さな手を延べ、どーぞと手づからタオルをおでこへ当てて差し上げれば。それは嬉しそうに眸を細め、拭いやすいようにともっと屈んで下さるところとか。子供扱いなようでいて、でも、こちらの微妙な自負というか背伸びというかを軽んじず、対等扱いもして下さる機転の妙が、何とも心地よくって…引き込まれてしょうがない。

 「お借りしたものだのに、汗まみれになっちゃいましたね。」

 いくら向こうから請われたとはいえ、さすがに普段着でお相手するのは失礼傲慢だろと、借り物の道着を着ていた彼であり、しまったなぁと苦笑するところもまた清々しくて。白い道着に藍地の袴も凛々しく似合う男ぶりには、世話働きの女性陣らが、かまびすしくも騒いでおったとは…翁様の言いよう。とはいえ、女性が騒いだ挙句のどうのこうのといった騒動、彼が逗留中は一切起こり得はしなかった。何せ 彼の傍らには、小さな次代様が ずっとずっとの四六時中、くっついて離れないという状態になってしまったのだから…。






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  *シチさんの練達ぶりを少々。
   優しいってだけで惹かれた久蔵さんではありませぬ。


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